インド関連メールマガジン過去ログ
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ニューズレター 号外(インド仏教の衰退)
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号外:インド仏教の衰退理由
■(1)インドの仏教
アメリカ在住のNさんからのご質問内容は、
「INFOページ」 のデータに関するものです。
インドは仏教の発祥地でありながら、なぜ、現在、インドの
仏教徒数が僅少であるのかという、仏教の衰退理由に関する
非常に奥の深い内容です。(^_^;)
ここで回答するにあたっては、あまり内容をつっこまずに
パーティに招待された時など、色々な分野のトピックに
参加できる程度の一般教養の走り如きとさせていただきますので、
その旨、ご了承いただきたく存じます。
(パーティによっては、招待客が専門家集団の場合がありますが、
ここでは一般的な範疇のものであるとの解釈の程、
よろしくお願いします。)
ですので、「私はこんな風に聞いたことがあるよ....」という程度で
軽く捉えていただきたく存じます。
インド仏教を衰退へと導いた歴史:
西暦千年の下半期において、仏教が衰退していった理由は
判明していない。
12世紀には、イスラム教徒がインド征服を開始し、
その間、仏教僧院の数は大幅に減少した。
仏教はいったんは、インド全土へと広わたったものの、
勢力を有したのは発祥地においてのみである。
学識者達は、僧院はインドの日常生活を超然したものになると
信じていた。
数百年の仏教支援の結果、僧院は寄付により財を蓄え、
僧院内での生活はかなり裕福なものと化した。
財を成した僧院は、僧侶志願者を選択するようになった。
やがて、インドの日常において、変遷を辿ってきたヒンズー教と
仏教の相違が薄れ始めた。
一般的ヒンズー教徒は、仏陀(釈尊)とはヒンズー教の神々の
ひとりであると捉えていた。
事実、最終的には、ヒンズー教は仏陀をヴィシュヌ神の
化身いわゆるアバター (avatar) と解釈するに及んだ。
(* ヴィシュヌ神の化身としてクリシュナは有名である。)
仏教徒は、別個のコミュニティを形成し、インドの日常行事等に
強く関わっているヒンズー教と共存することはなかった。
1192年、イスラム教徒がインドへの征服を始め、
イスラム教への改宗を試みた。
土着宗教への抑圧は、その手段の一部であった。
しかし、ヒンズー教はインドの日常生活に非常に
根強く密着しており、イスラム教徒の努力は失敗に終わった。
一方、仏教に対しては、僧院の破壊、
僧侶の殺害や追放を行ったため、
仏教徒の残存者はインドから姿を消した。
1192年以降、今日に至るまで、仏教は誕生したインドの地に、
まるで生まれたものが土に帰るように眠ったままである。
以上。
参考資料:
ワシントン州立大学オンライン リソース(英語)
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ニューズレター過去ログ
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号外:インド仏教の衰退理由
■(1)インドの仏教
アメリカ在住のNさんからのご質問内容は、
「INFOページ」 のデータに関するものです。
インドは仏教の発祥地でありながら、なぜ、現在、インドの
仏教徒数が僅少であるのかという、仏教の衰退理由に関する
非常に奥の深い内容です。(^_^;)
ここで回答するにあたっては、あまり内容をつっこまずに
パーティに招待された時など、色々な分野のトピックに
参加できる程度の一般教養の走り如きとさせていただきますので、
その旨、ご了承いただきたく存じます。
(パーティによっては、招待客が専門家集団の場合がありますが、
ここでは一般的な範疇のものであるとの解釈の程、
よろしくお願いします。)
ですので、「私はこんな風に聞いたことがあるよ....」という程度で
軽く捉えていただきたく存じます。
インド仏教を衰退へと導いた歴史:
西暦千年の下半期において、仏教が衰退していった理由は
判明していない。
12世紀には、イスラム教徒がインド征服を開始し、
その間、仏教僧院の数は大幅に減少した。
仏教はいったんは、インド全土へと広わたったものの、
勢力を有したのは発祥地においてのみである。
学識者達は、僧院はインドの日常生活を超然したものになると
信じていた。
数百年の仏教支援の結果、僧院は寄付により財を蓄え、
僧院内での生活はかなり裕福なものと化した。
財を成した僧院は、僧侶志願者を選択するようになった。
やがて、インドの日常において、変遷を辿ってきたヒンズー教と
仏教の相違が薄れ始めた。
一般的ヒンズー教徒は、仏陀(釈尊)とはヒンズー教の神々の
ひとりであると捉えていた。
事実、最終的には、ヒンズー教は仏陀をヴィシュヌ神の
化身いわゆるアバター (avatar) と解釈するに及んだ。
(* ヴィシュヌ神の化身としてクリシュナは有名である。)
仏教徒は、別個のコミュニティを形成し、インドの日常行事等に
強く関わっているヒンズー教と共存することはなかった。
1192年、イスラム教徒がインドへの征服を始め、
イスラム教への改宗を試みた。
土着宗教への抑圧は、その手段の一部であった。
しかし、ヒンズー教はインドの日常生活に非常に
根強く密着しており、イスラム教徒の努力は失敗に終わった。
一方、仏教に対しては、僧院の破壊、
僧侶の殺害や追放を行ったため、
仏教徒の残存者はインドから姿を消した。
1192年以降、今日に至るまで、仏教は誕生したインドの地に、
まるで生まれたものが土に帰るように眠ったままである。
以上。
参考資料:
ワシントン州立大学オンライン リソース(英語)
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