「英語=グローバル化ではない」まったく同感!
公用語が英語であるアメリカには、パスポートを持っていない、海外に行ったことがない、
それどころか、州外に出たことが無い人が驚くほど大勢いる。
これこそが、英語を話せるアメリカ人がグローバル人ではない、という事実。
中には外国人と話しをしたことがない、という究極の人すらいる。
彼らにとっては、日々の生活になんの支障もないし、個々人としてグローバル化を目指す必要性など欠片もない。
当然と言える。
組織内の一歯車的ポジションとしては、英語力は必要ないかも知れない。
グローバル化と叫ばれるが、その根本はローカルビジネスが世界中に個々にローカライズされて
散りまかれたものである、と私は解釈する。
それぞれのローカルビジネスに携わっているレベルでは国際ビジネス公用語である英語は必要ない。
しかし、組織の規模に関わらず、海外に市場を見いだす立場の人からみると
特に、英語の読み書き力は必須である。
情報が世界中を瞬時に行き来する今の時代、日本語だけでフィルターにかけるより、
入手できる生情報の量が増えることは間違いない。
スピードの勝負となるならば、翻訳を待つ時間が勿体ないし、
ましてや、有益な情報やニュースを自分で選び出すことが出来る。
日本の高校教育までのレベルで英語の読み書きはあまり問題ないレベルの
能力がついているはず、と思われる。
にも関わらず、英語教育関連ビジネスは未だに大きな市場である。
まるで、次から次へと違ったダイエット商品が出回るように。
アメリカ社会も高齢化が進んでいるが、子供の数も増えている。
国内市場の縮小は考えられない。
日本との大きな違いはそこにある。
英語の必要性云々が絶え間なく取り沙汰されるのは、
「英語が必要である」という潜在意識を誰もが抱えている証しでは?