世界中にファンがたくさんいるロックンロールの大御所。
彼のような大物ともなれば、ネットで検索すると情報がたくさん集まります。
このブログでは、これからウェブ上で進めていくトピックに入っていく前に、そのプレリュードとしてジョエル氏のプロフィールを紹介します。
なぜ、ビリー ジョエルなのか?
それは、彼の音楽や歌詞が好きであること、大成功するまで苦労している、人生経験が豊富であるからです。
同氏のように成功するまでに苦労をした方々がいらっしゃるはずです。
と言うか、成功までに苦労を伴うことが普通なのでしょう。
まあ、結局のところ、ビリージョエルのファンですし、タイミング的にたまたま合致して、自然と同氏を選びました。
ビリーの父親の家族は、ユダヤ人の大量虐殺で命を落としました。
少年時代、そのことが頭につきまとっていたそうです。
彼が8歳のとき、両親が離婚しました。
ビリーとお姉さんは母親が引き取って育て上げました。
当時、労働市場は女性に厳しく、母親は低賃金労働で苦労しながら子供を育てました。
14歳になってからは、地元のバーでピアノを弾いて家計を助けました。
父親は、クラシックのピアニストでした。
そのため、ビリーは12歳まで、クラシック音楽を弾いていましたし、なかなか上手だったそうです。
ピアノの腕前はよかったのですが、クラシック音楽のコンサートピアニストになりたいと思ったことはありませんでした。
自分の音楽を作りたい熱望がありました。
ビリーが14歳か15歳だった1964年。
ロックバンドに入らないかと声をかけられました。
ギタリスト数人とキーボード担当のビリーのグループでした。
ある日、教会で催すダンスパーティーで演奏してくれないかと誘われました。
パーティーは大盛況でした。
しかも、今までビリーに見向いてもくれなかった好きな女の子が、ビリーが演奏しているときに、熱い視線でジッとみつめていたそうです。
もちろん、嬉しくてウキウキしたそうです。
そして、パーティーが終わってから、牧師さんが演奏したグループのひとりずつに15ドルのお礼を渡してくれました。
好きなことをやっただけで、報酬なんか期待すらしていませんでした。
そのときにビリーは、「これだ!オレは、これで飯を食っていくぞ!」と決めました。
自分の音楽を作り始めたのもその頃で、ビートルズをお手本にしたようなタイプの音楽です。
ビリーにとって、エド サリバンショーに登場した4人は、自分たちで作ったミュージックを好きな楽器で楽しそうにプレイしながら歌っていました。
好きなことを楽しくしながら、それで収入を得られる可能性のすべてを持っていると感じました。
L.A.に住んだのは3年間です。
それは1970年代初頭。
L.A.は、ミュージックビジネスの中心地でした。
ビリーの最初のアルバム、「Cold Spring Harbor」はL.A.でレコーディングしました。
レコードの契約条件は悪いものでした。
自分の権利すべてを手放す条件にサインしました。
そして、ツアーに出ましたが、誰にも報酬は支払われませんでした。
生活の糧を得るために、L.A.のピアノバーでピアノ弾きの仕事をしました。
(日本のミュージシャンにも似たような話しを聞いたことがあります。)
彼によると、ミュージシャンにとって、会計/経理のことは非現実的な観念の世界です。
好きな音楽をやって報酬が得られて生きていければそれでいいのです。
ビリーがミュージシャンとして求めたものは、それだけです。
現在、同氏は、ニューヨーク最大規模のアリーナであるマディソンスクエアガーデンで毎月コンサートを開催しています。
ニューヨークはジョエル氏のホームタウン。
故郷ですから、そこにあるマディソンスクエアガーデンを選んだのは、ごく自然なこと。
そして、そのアリーナを毎回、観客で満員にしています。
ジョエル氏が言うには、自分自身はロックスターになれそうにないタイプ。
ルックスはロックスターから程遠い感じ。
自称、永遠の負け犬 (eternal underdog) 。
歌詞の中には、しくじったことが沢山ある人間の証しが書き込まれています。
みんなと同じように失敗して、そこから自分の道を見つけ出してきました。
そう言う普通の人間らしい点が共感を得て、みんなからサポートされていると考えておられます。
現在の結婚は4度目。
コンサートで遠征していることが多く、良い夫婦関係を保つのが上手なタイプとは言えませんでした。
ジョエル氏の父親も留守にすることが多く、父親と同じことをしてしまいました。
家にいる父親になりたかったそうです。
そして、今、ジョエル氏はニューヨークに奥さんと2人の子供と一緒に時間を過ごしています。
4度の結婚、そして子供たちはみんな女の人。
女性に囲まれたミュージシャンです。
最後に、ジョエル氏が自分を一番誇れる点。
それは、困難に立ち向かっても諦めずに、人生を進み続けること。
結婚に失敗しても、結婚して家庭を持つこと自体を諦めませんでした。
ビジネス(レコーディング契約等)に失敗したからと言って、ビジネス自体を決して諦めませんでした。
彼を引き裂いた人にさえ苦い思いは残っていません。
満足しています。
そして、今、ハッピーエンディングの道を歩んでいます。
以上です。
如何でしたか。
「結婚に失敗しても結婚自体を諦めなかった。」
「ビジネスに失敗してもビジネス自体を諦めなかった。」
頭が下がります。
それでは、みなさんのもとにいいことがたくさん舞い込んで来ますように!
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学ぶチャンスに恵まれていない人たちが知識やスキルを身につけ、明るい未来を築いていくことを応援します。
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[Reference: Parade]