それは、学生時代のことでした。
アメリカ人のクラスメイトにエッセイのプルーフリードしてあげるよ、と頼んでいないのに快く申し出られ、断る理由もないのでお願いしました。
数ページのエッセイにしばらく何ら意見もなく黙って読んでいました。
しばしの沈黙を破っての最初の言葉は、「別に何も言うことないけど」。
いやいや、そんなことはないです。
「theとか複数形とか不自然な表現をきちんと確認して欲しいのですけど・・・」。
ところが、その修正箇所にびっくり!
「create」が「creat」になっているし、 「grateful」が、なんと 「greatful」になっていました。
そして、最後に自白された一言は、「いやぁ、実は、僕は子供の時からライティングが苦手なんだ」と。
だったら最初からプルーフリードしてあげるとか言ってこなければいいのに・・・。
それから、二度とこの人からは、プルーフリードの申し出はありませんでした。
逆に、その人の日本語のクラスのエッセイを読んで欲しいとお願いされました。
そうか、最初からそういう目論見だったのか。
そして、数年が経過し、日本でのこと。
ジャパンタイムズに、英語を母国語とする人が、「英語履歴書の作成をお手伝いします」というような個人広告を掲載していました。
ちょうど英語レジュメのプルーフリードをしてくれる人を探していたので、いいタイミング。
早速連絡し、ファックスでレジュメを送りました。
(未だ、日本では、一般にメールが普及していませんでした。)
1時間ちょっとで返事がきましたが、「別に修正しなくて、あのままでいいよ」と。
学生時代のあの記憶が蘇ってきました。
幸い、良心的に料金は請求されませんでした。
英語を母国語とする人だったら誰でも英語が書けると思ったら大間違いです。
聞く力と話す力はしっかりしていても、耳から音声で覚えた母国語。
大学生であっても、たまに綴りがあやふやな人がいます。
そして、その人たちには、共通点がひとつあります。
それは、書くことやプルーフリードの大変さを知らないので、気楽に申し出てくることです。
書く力がしっかりした方は、ついつい本気いっぱいになるので、最初からプルーフリードなどはお願いされても躊躇されることが多いです。
それを職業としている方は別ですが。
まあ、人それぞれの書く力には、個人差がありますが、ご親切なことには、感謝でいっぱいです。
母国語が英語であれ、日本語であれ、自動的に「母国語=書ける、教えられる」の公式は成り立ちません。それを職業としている人たちは、それなりの努力を積み重ねてきた方々です。
それでは、みなさんのもとにいいことがたくさん舞い込んで来ますように!